(1)「今の宗門の『登山』というのは、大聖人の御意に叶わぬこと、内房尼御前の百千万億倍だ。なぜかといえば、国立戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊を、国立戒壇を否定するために建てた正本堂に居(す)え奉っているんだ。大聖人様を辱め奉ることこの上ない。大聖人様は御憤りあそばしておられる。しかるにもいま登山して御開扉申し上げるならば、不快の『見参(けさん)』を大聖人に強要し奉ることになるではないか」(冨士378号)
(2)阿部管長はいま、正本堂の跡地に、奉安堂なる巨大な建物を建てんと企てている。(中略)戒壇の大御本尊様を利用して本山の収入を図るためであります。『いいかげんにしないか』と私はいいたい」(顕正新聞 H12.4.5号)
(3)「貴殿(日顕上人猊下のこと)が」いま為しているのは、『内拝』ではない。恐れ多くも戒壇の大御本尊を利用し奉っての『御開扉料稼ぎ』である。だから貴殿は常に法華講員に『登山せよ、登山せよ』と鞭を打つ。(中略)直ちに濫りの御開扉を中止し、近き広布のその日まで、日興上人の御心のまま、もっぱら秘蔵厳護し奉るべきである」(浅井昭衛よりの重ねての対決申し入れ書)