創価学会/創立から破門、現在までの経緯 創価学会/創立から破門、現在までの経緯

創価学会【1】
創立から破門、現在までの経緯


創価学会の概要

【創 立】昭和5年11月18日
【創始者】牧口常三郎
【代表者】池田大作(名誉会長)
     原田 稔(創価学会第6代会長)
【崇拝の対象】日蓮大聖人が図顕された曼荼羅本尊
【教 典】日蓮大聖人御書全集

創価学会の沿革

創価学会の発足

牧口常三郎初代会長の牧口常三郎は、昭和3年、常在寺(東京池袋)の法華講員であった三谷素啓に折伏(しゃくぶく)教化され、日蓮正宗に入信しました。そして後に2代会長となる戸田城聖も、牧口に続いて入信しています。
当時、小学校の校長をしていた牧口は「価値創造」を基とする独自の教育方法を考案し、これを「創価教育学」と名づけました。これに共鳴する教育者が次第に増え、牧口と戸田はそれらを折伏して日蓮正宗に入信させ、「創価教育学会」を発会しました。
しかし昭和16年、太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)にともない、軍部は国家神道を基とする国体思想の徹底を図りました。そうした中で、牧口・戸田や幹部らは治安維持法違反と不敬罪容疑で逮捕されました。
牧口はこの獄中において死亡しましたが、戸田城聖は昭和20年7月3日に出獄し、学会の再建に尽力しました。そして昭和21年1月、その名称を「創価学会」と改めたのです。

宗教法人取得

戸田城聖終戦直後の混乱に乗じた折伏によって入信者は増え、昭和22年に池田大作が入信。昭和26年には戸田が第2代会長になり、活発な布教活動を全国に展開しました。
昭和26年、戸田は「総本山外護(げご)」と「布教をしやすくするため」という理由で、創価学会が独自の宗教法人を取得することを日蓮正宗に願い出ました。
これに対して日蓮正宗宗門は、
(1)折伏した人は信徒として末寺に所属させること。
(2)当山(日蓮正宗総本山)の教義を守ること。
(3)三宝(さんぼう=仏法僧)を守ること。

の三原則を法人設立の条件として提示し、学会は、この三原則と宗門外護の遵守(じゅんしゅ)を確約し、昭和27年、信徒団体という特殊な形態の、例外的措置によって宗教法人の認証を受け、設立されました(下の画像はそれを報じた当時の聖教新聞紙面)。

“創価学会の三原則”

池田大作の台頭

池田大作昭和33年に戸田城聖が死去し、昭和35年5月3日、池田大作が創価学会の第3代会長に就任しました。その就任式の席上、池田は、
「わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下(ごほっすしょうにんげいか)にご奉公申し上げることが、学会の根本精神だと信じます」
と述べて、本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊と御法主上人猊下に随順していくことが創価学会の精神であることを公表しました。

政界進出と正本堂(しょうほんどう)建立

昭和37年11月、創価学会は「公明党」を結成し、昭和40年7月の参議院選挙では20議席の勢力を有しました。
こうした中、創価学会の「言論出版問題(創価学会を批判する出版物発売を妨害した事件)」が表面化し、昭和45年に民社党は、これに関連して、池田大作の国会喚問(かんもん)を要求し、また共産党にも政教一致を追求されました。
これによって池田は、同年5月に行われた本部幹部会の席上、「言論・出版問題に関する謝罪」と「創価学会と公明党の政教分離」を表明しました。
また池田は、いまだ広宣流布が達成されていないにも関わらず、「自分が広宣流布を達成した証(あか)し」として、正本堂を「日蓮大聖人ご遺命(ゆいめい)の戒壇」とするよう宗門に迫りました。
しかし第六十六世・日達上人はそれを拒否され、訓諭(くんゆ)をもって正本堂について「大聖人御遺命の戒壇に準ずるもの」「現時における事(じ)の戒壇」と意義づけられ、昭和47年10月に正本堂が建立されました。

教義逸脱(52年路線)

正本堂この正本堂建立は、これに反発する「妙信講(後の顕正会)」問題や、創価学会の非法を執拗に攻撃する自称「正信会」の派生など、さまざまな問題が惹起(じゃっき)する要因となりました。
そしてこの正本堂建立を機に、池田の慢心は増長し、宗門支配を画策し、宗門に対してさまざまな圧力を加えはじめました。池田創価学会は、宗門を実質的に支配して乗っ取るか、それができなければ分離独立するという陰謀を企てるに至ったのです。
昭和52年には、学会に批判的な僧侶に対する多くの「つるし上げ事件」をはじめとした僧侶攻撃・宗門批判を行うとともに、日蓮正宗の教義から逸脱(いつだつ)し、ついには御本尊模刻(第3項参照)という大謗法(だいほうぼう)を犯すに至りました。これが、いわゆる創価学会の「52年路線」です。
この時の教義逸脱の主なものは、
(1)創価仏法の原点は、戸田会長の「獄中の悟達(ごだつ)」にある
(2)唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈(けちみゃく)の否定・途中の人師論師は無用・大聖人直結
(3)『人間革命』は、現代の御書
(4)池田会長に帰命(きみょう)・池田会長は主師親(しゅししん)三徳、大導師(だいどうし)、久遠(くおん)の師である
(5)寺院は単なる儀式の場、学会の会館は広布(こうふ)の道場
(6)謗法容認(祭りへの参加等)
(7)供養は在家でも受けられる

などでした。

52年路線の収束

これらの謗法行為に対し、宗内僧侶を中心として学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出。こうした状況に対し、池田は創価学会の崩壊につながることを危惧(きぐ)し、第六十六世・日達上人に謝罪し、事態の収束を願い出ました。
そして昭和53年、創価学会は「教義上の基本問題について」と題した、教義逸脱に関する訂正文を聖教新聞に掲載しました。しかしこれは、訂正内容が曖昧で、さらに会長である池田の責任を明らかにするものではありませんでした。
そしてこの頃、創価学会による本尊模刻も発覚し(第3項参照)、同年9月、学会は急きょ、勝手に造った7体の模刻本尊を総本山に納めました。
窮地に追い込まれた学会は、同年11月、代表幹部2,000名による「創価学会創立48周年代表幹部会」(通称・お詫び登山)を開催し、そこに列席した宗内僧侶の面前で、公式に謝罪の意を表明しました。
しかしその後も、教義逸脱はまるで改められず、池田自身への責任追及の声が一層激しくなり、ついに池田は昭和54年、創価学会会長を辞任して名誉会長となり、法華講総講頭も辞任しました。これを受けて、第六十六世・日達上人は、学会が日蓮正宗の信徒団体としての基本を忠実に守ることを条件とされた上で、学会問題の収束を宣言されました。
その後、同年7月に日達上人が御遷化(ごせんげ)にともない、総本山第六十七世として日顕上人猊下が御登座(ごとうざ)され、日達上人の方針を引き継いで学会の善導に心を砕かれました。

平成の分離独立路線

平成2年11月16日、池田大作は全国の学会員に対して、衛星放送を通じて、御法主上人への誹謗(ひぼう)と宗門蔑視(べっし)のスピーチを行いました。
それは、昭和53年の「お詫び登山」における反省・懺悔(さんげ)の言辞をすべて反古(ほご)にするものでした。
同年12月、宗門は学会との連絡会議の席上、「お尋(たず)ね」文書をもって、この池田スピーチの真意を確かめようとしましたが、学会は文書の受け取りすら拒否。
そのため宗門は同文書を学会本部に送付しましたが、これに対し学会は誠意ある回答を示すどころか、敵意をあらわにした「お伺(うかが)い」という詰問(きつもん)書を送りつけるという不誠実ぶりでした。

再びの教義逸脱、そして破門へ

創価学会は、平成3年初頭から、全組織を挙げて御法主上人・宗門御僧侶への誹謗・中傷・嫌がらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈である「下種三宝(げしゅさんぼう)」「血脈(けちみゃく)相伝」を否定し、さらに僧侶不要の「友人葬」の執行など、日蓮正宗の教義・信仰から大きく逸脱する謗法を犯すに至りました。
これに対し宗門は、日蓮正宗本来の信仰姿勢に立ち返るように訓戒を重ねましたが、創価学会はまったく聞き入れず、さらに誹謗を繰り返しました。
平成3年10月、宗門は「通告文」を送って強く反省を促しましたが、これに反発した学会はさらに誹謗・中傷をエスカレートさせていきました。そこで宗門は、同年11月7日、日蓮正宗の外護(げご)団体としての姿を失った創価学会に対し「解散勧告」を行いました。
それにさらなる反発をする学会……事ここに至り、宗門は、「もはや学会は本宗の信徒団体として認められない」と判断し、創価学会(およびSGI=創価学会インターナショナル)を破門に処しました。
しかしこの破門は、あくまでも組織体に対する処分であり、学会員個々人については日蓮正宗信徒として破門するものではなく、信徒としての資格を残すというものでした。

池田大作の信徒除名と「ニセ本尊」配布

創価学会のニセ本尊宗門は、創価学会の実質的責任者である池田大作に対し、弁疏(べんそ=弁明・釈明)の機会を与えましたが、池田はこれに対して無視を決め込み、そうした正式な手続きを経て、平成4年8月、宗門は池田を信徒除名(信徒としての破門)処分に付しました。
その翌年、創価学会は、浄圓寺(じょうえんじ=平成4年に日蓮正宗より離脱)所蔵の「日寛上人御書写の御本尊」を、改ざん・コピーして会員に授与する旨を発表し、ついに創価学会は「ニセ本尊」を販売するという、驚愕の大謗法を犯すに至りました(改ざんの詳細等、ニセ本尊のニセたる所以は、こちらを参照ください)。

創価学会員の信徒資格喪失

宗門は、創価学会への組織破門から7年後の平成9年9月30日、「宗規」の一部改正を行い、「本宗の檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失し除籍される」こととしました。
そして2ヶ月の猶予(ゆうよ)をおいた同年12月1日を期限とし、創価学会にそのまま籍を置くものは信徒資格を喪失する旨、学会員に通告しました。しかし学会は、会員がこれに応じることのないように会員を指導し、ついに多くの会員が日蓮正宗信徒としての資格を喪失し、除籍となりました。
現在、学会員は、深く反省・懺悔(さんげ)の上で、末寺御住職の許しを得て勧誡式(かんかいしき)を受けることにより、日蓮正宗への復籍が許されています。

「規則」「会則」の改変

創価学会は、平成14年に文部科学省の認証を得て「規則」を改変し、それによって「会則」を変更しました。
その内容は、本尊や教義の裁定はすべて会長が行い、実質的には池田大作を「永遠の指導者」に定めるというものであり、本来、日蓮正宗の信徒団体として認可されながら、日蓮正宗と完全に分離した集団に改変するものでした。

以上の経緯により、創価学会は、日蓮正宗とは無縁の「新興宗教団体」と成り下がりました。
次ページ以降において、創価学会の「教義」と「邪宗教である理由」を詳細に記します。
学会の悪宣伝に惑わされることなく、どうか冷静な眼で学会の信仰を見つめ直し、正邪の分別をつけてください。

“正しい宗教と信仰”