本門佛立宗の誤りを破す 本門佛立宗の誤りを破す

本門佛立宗の誤りを破す


本門佛立宗の概要

本成寺【創始者(開導)】長松日扇(清風)
【立教】安政4年(1857年)
【本尊】日扇自筆の要法本尊
【経典】妙法蓮華経開結十巻
【教典】高祖日蓮大士遺文(特に『観心本尊抄』『四信五品抄』『如説修行抄』)、門祖日隆(本門法華宗)と日扇の著述
【本山】宥清寺

本門佛立宗の沿革

長松日扇本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)は、長松日扇が京都で始めた在家組織「本門佛立講」を起源とする、今日の「在家主義新興宗教」の原型といわれる教団です。
日扇は、もともとは八品派(本門法華宗=明治31年、八品派五山は宗名を本門法華宗と改称し、昭和21年、本門法華宗は妙蓮寺と他の四山とに分かれ、妙蓮寺のみが本門法華宗と公称し、他の四山は合同して法華宗本門流と公称)の僧侶として32歳で出家しましたが、まもなく教団への不信から還俗(げんぞく=僧職を辞めること)し、清風と名乗って、在家の立場で教団の改革を決意しました。
その後、京都で「佛立講」を開講した清風は、難しい法門を説く僧侶に対抗して「現証利益(げんしょうりやく)主義」を唱え、徹底した在家主義を主張しました。しかし慶応元年(1865年)、「切支丹(キリシタン)の邪法を行い、在家の身で法を説く不審者」として訴えられ、その3年後の明治元年にも諸宗に告訴され投獄されました。
清風は赦免(しゃめん)後、曼荼羅の書写・授与を止めて本門法華宗にしたがう旨の誓約書を提出することで再出家を許され、それから講の再建に取りかかりました。
その翌年、住職のいなかった京都の宥清寺(現在の本門佛立宗の本山)に入った清風は、これを契機に信仰を変質させ、これまで主張してきた「僧侶否定の純粋在家主義」から手のひらを返し、僧侶と寺院を持つ「出家主義」へと真逆の方針転換をしました。
明治10年、清風は、宗祖の曼荼羅を書写した従来の本尊を止め、自ら一遍首題の題目に脇書を書き、これを「要法本尊(ようぼうほんぞん)」と称して講員に配布し始めました。また明治15年頃には、清風は「読誦謗法(どくじゅほうぼう)・口唱(くしょう)専一」と、「番神雑乱(ばんじんぞうらん)・別勧請(べつかんじょう)本尊への参拝禁止」を講員に徹底し、大胆な改革を実行しました。
しかし清風は、本門法華宗・本山妙蓮寺の貫主にすら強言を吐き、これに反発する多くの講員が離反し、その勢力は大きくそがれることとなりました。
清風の没後、明治31年、本山妙蓮寺は佛立講に対し、「本尊書写の禁止」や「読誦謗法の主張の撤回」を求めたため教団は窮地(きゅうち)に立たされましたが、妙蓮寺との対立を不利と見た佛立講は協調路線をとり、関係修復に成功しました。
明治32年、本門法華宗は清風に対して「日扇上人」の号を贈り、明治45年には日扇に対し大僧正位を贈りました。本門法華宗は佛立講の組織力に依存し、その中で佛立講は着実に本門法華宗内での勢力を広げ、本来の在家主義から僧侶主導へと、大きく変貌していきました。
こうした変貌に対して、純粋な在家組織を目指す一部の僧俗が教団を離れて分裂していきましたが、寺院と僧侶を持つようになった佛立講は、積極的に僧侶を養成して自立を目指し、教勢を拡大していきました。
そして終戦後の昭和22年、本門法華宗から独立して「本門佛立宗」と改称し、昭和27年、宗教法人を取得して現在に至っています。

本門佛立宗の教義の概要

日扇の教学は、日扇と生涯にわたって対立関係にあった、本門法華宗への体制批判から生まれた「改革教学」であり、既成宗教の難しい教義や信仰を切り捨て、信徒中心の分かりやすい教えと信仰を目指した点が特徴です。これが新興宗教の先駆といわれる所以(ゆえん)です。

要法本尊(ようぼうほんぞん)

佛立宗では、日蓮大聖人自筆の曼荼羅を「雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)の広式本尊」と否定し、日扇が自作した「要法本尊」のみを信仰の対象としています。
この「要法本尊」は日扇が、中央に題目、その左右に「三箇秘法之中一大秘法」「本門肝心上行所伝」と脇書したもので、それまで本門法華宗から「本尊書写は貫主に限る」と制約を受けていたことに対して、教団独立のために作成されたものと言えます。

口唱専一(くしょうせんいつ)

本門法華宗では、『法華経』一部読誦を行っていましたが、日扇は「題目で布施を取れないから在家の知らない御経を読むのだ」と批判し、難しい読誦(どくじゅ)は信徒の信心の妨げになるとして、唱題中心の法要式を講員に徹底しました。これが「口唱専一」です。
現在も法要・勤行(ごんぎょう)はこれにしたがって行われており、要法本尊に向かって拍子木(ひょうしぎ)を鳴らしながら題目のみを唱えています。

現証利益(げんしょうりやく)主義

日扇は、「法の浅深・勝劣・邪正は現証利益の有無に依って自ら知るなり」と述べ、教学や法門は理談に過ぎず、智慧による信仰を嫌いました。
自ら「佛立宗は無智宗なり」といい、「現証利益こそ事の法門である」と説いて、信仰の目的・正邪の基準・功徳(くどく)のすべてを現世利益に結びつけたところが、いかにも新興宗教の元祖的であり、この教団の特徴です。

本門佛立宗が邪宗教である理由

「要法本尊」は宗祖の正意に違背

佛立宗では、日扇自作の「要法本尊」を本尊とし、曼荼羅に十界(地獄界から仏界までの十界)を顕(あらわ)すことを、「雑乱勧請(ぞうらんかんじょう)・別勧請」といって嫌い、さらに「十界互具(じっかいごぐ)の曼荼羅は宗祖の本意ではない」などと主張しています。
しかし日蓮大聖人は『開目抄』に、
「一念三千は十界互具よりことはじまれり」
と示され、そして『草木成仏口決』には、
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」
と御教示されています。この大曼荼羅は、御本仏・日蓮大聖人己心の、事の一念三千の当体であり、これこそが宗祖の正意にして、末法衆生の正境(しょうきょう)たる御本尊なのです。
さらに大聖人は『日女御前御返事』に、
「されば首題の五字は中央にかゝり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、(乃至)三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、加之(しかのみならず)日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神々、(乃至)一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる。是を本尊とは申すなり」
と、十界互具御本尊について説かれています。
これに対し、佛立宗が立てる「要法本尊」は、明治10年に本門法華宗から曼荼羅の書写・授与を禁止された日扇が、本門法華宗からの独立を目指して自作し、これを勝手に「要法本尊」と称したに過ぎません。
もちろん、宗祖の御書のどこにも「要法本尊」などという言葉はなく、宗祖の認(したた)められた曼荼羅御本尊とは似ても似つかぬ、実にお粗末な自作本尊です。
日扇は、宗祖が「日蓮が魂」とまで仰せの大曼荼羅を「雑乱勧請の謗法(ほうぼう)本尊」などと下し、大聖人の御正意である御本尊を否定するという、とてつもない大謗法を犯しているのです。
さらに、日扇が門祖と仰ぐ日隆(本門法華宗の門祖)は宗祖の曼荼羅を本尊と定めているのであり、日扇は門祖・日隆にすら敵対するという愚迷ぶりです。

口唱専一(くしょうせんいつ)

佛立宗では、法華経の読誦(どくじゅ)を「謗法である」などと主張しています。
しかし日蓮大聖人は『月水御書』に、
「されば常の御所作には、方便品の長行(じょうごう)と寿量品の長行とを習ひ読ませ給ひ候へ」
と御教示されているのであり、日扇こそが師敵対の大謗法者なのです。
さらに、法華経の一部(法華経一部八巻二十八品のすべて)読誦を行っていた本門法華宗の日隆すらも、「日蓮薩捶(さった=菩薩)も又、方便品と寿量品と二の略門修行、之(こ)れ有り」と認めています。
その経文読誦を謗法と下し、拍子木を鳴らして題目さえ唱えればよいという佛立宗の「口唱専一」は、本門法華宗の煩雑(はんざつ)な一部読誦の修行を嫌った日扇が、「難しい読誦は信徒の信心の妨げになる」だの何だのと理屈を言って、要するに楽をしたくて題目だけにしたのです。
宗祖・日蓮大聖人の化儀(けぎ)化法(けほう)を我見によってねじ曲げ、「要法本尊」だの「口唱専一」だのと勝手な本尊と修行を立てる日扇は、間違っても宗祖門流とは呼べない輩であります。

三祖血脈

佛立宗では、「日蓮→日隆→日扇」と連なる「三祖血脈」なるものを主張し、自宗こそが宗祖以来の正統であるなどと主張しています。
しかし、仏法における「師資相承」「血脈相承」とは面授口決(めんじゅくけつ)であり、釈尊は迦葉に、天台は章安に、伝教は義真に、そして宗祖は日興上人に御相承あそばされたのです。
現実には、宗祖大聖人と日隆は百数十年の隔(へだ)たりがあり、さらに数百年も時代の違う日扇への血脈相承や相伝など、どうやってもあり得ません。
そもそも、「要法本尊」だの「口唱専一」だのと、宗祖に完全に違背している佛立宗のどこが、宗祖の正統嫡流(せいとうちゃくりゅう)だと言うのでしょうか。佛立宗などに、大聖人の血脈は断じてあり得ません。

以上、本門佛立宗について、その邪たる所以を述べました。本門佛立宗は、日蓮大聖人を敬うような振りをしていても、その実態は大聖人様の教えとは似ても似つかぬ、大謗法の邪宗教でしかありません。
『涅槃経(ねはんぎょう)』には、
「邪宗の僧侶や幹部は、いかにも聖人君子のごとき人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりしていても、常に内心は信者から布施や寄付をしぼり取り、自分の身を長く養うことばかり考えている。袈裟(けさ)を着ているといっても、それはまるで、猟師が狙った獲物を細目でにらみながら忍び寄っていくごとく、また猫がねずみに跳びかかろうと身構えているごとく、少しでも多額の布施・寄付を搾取(さくしゅ)しようと、信者を狙っているのである」
という趣旨の経文があります。皆さま方におかれましては、間違ってもこのような邪法邪師の邪義に惑わされることなきよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。

“正しい宗教と信仰”