「『法主』とは、ただ大聖人御一人に対しての呼称であり、このことは、大聖人が自ら仰せられていることなのです。いいですか。本因妙抄には『仏は熟脱の教主、某(それがし)は下種の法主なり』と。(中略)大聖人以外の誰人が『法主』と名乗れましょうか。(中略)日興上人は大石寺の歴代上人を『貫主』と称されているのです。日寛上人の御筆記を拝見しても、すべてそうです。(中略)実は本宗で貫主を『法主』と呼ぶようになったのは、ごく最近のことなのです。日興上人が定められたごとく、あくまでも『貫主』でなければなりません」
(顕正新聞 H10.7.15号)