その一番目が、平成4年11月4日発行の『創価新報』に掲載された変造写真(1)です。
『創価新報』はこの写真について、
「得意のポーズでご満悦―。出た、日顕の『芸者遊び』写真 」
評したうえ、大見出しにて、
「日顕が欲すは「カネ、酒、色」の堕落道 まだ信伏随従するのか 芸者の世界は日顕の『心の故郷』!? 政子が止めても『酒はやめられない』 」
と掲げ、写真説明として、
「お待たせしました!またまた出ました、日顕の『芸者写真』!! 今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ」
などと解説し、
「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色の教団・日顕宗」
と結び偽造写真を報道しました。
しかし撮影日時等が明らかになったことにより、この変造写真の原板が発見されました。それが真正写真(1)です。
真正の原版写真と、上の学会の偽造写真との最大の違いは、猊下の奥に写っている人物を跡形もなく消そうとして、全く別物の背景を重ね合わせて、変造してしまっている点です。 これについて離脱僧・椎名法昭は、
「実は日顕(上人)の奥にもう一人僧侶が写っているんです。しかし、その人に迷惑がかかるといけないので、これは新聞に出す時はその人を消してくださいと頼んだんですよ」
などとトポケたことを言っていますが、それなら、その人物の顔の一部を黒く塗って隠せば済むことです。
それをわざわざ、この人物を跡形もなく消したり、そのためにまったく別な背景を重ね合わせてしまうなどという必要がどこにあるでしょうか。
あえてその必要があるとすれは、それは、この写真を撮影した日時・場所・宴席名を隠し、あたかも「猊下が芸者遊びに興じた現場写真」であるかのごとく見せたいがためです。 他の僧侶の方の姿も総て消してあることからしても、それ以外の動機は考えようがありません。これを「偽造写真」「変造写真」と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。
ところが学会は恥知らずにも、
「<芸者写真は偽造>なる宗門側の主張は、明らかに事実の歪曲です。『創価新報』に掲載された2枚の芸者写真は、たしかに一部修正されてはいました。しかしその修正とは、宗内にいる写真提供者の身の安全に配慮したトリミング(他の宴席出席者が写った部分の削除)や、芸者衆のプライバシーに配慮してのアイマスク(目の部分を線で隠す)であり、報道倫理上、むしろ好ましい修正で」
などという言い訳をしています。
芸者衆のアイマスクは当然ですが、これほどの変造を「トリミング」と呼ぶことはできません。
学会は用語を知らないようなので解説しますが、トリミングというのは、円形でも四角でもいいから、「写真の不要部分を単純に切り落とす」ことです。人物を消去して、人物の位置を切り抜いて移動して、おかしくなった背景を潰して壁に見せかける……こういうのはトリミングとは言いません。偽造というのです。プライバシーへの配慮だったら、アイマスクで充分ですよね?
あくまでも「猊下が芸者遊びをしている」という印象を会員に植え付けるために偽造した、その意図は明白ではありませんか。ふざけた言い逃れです。
そして次に、平成4年11月18日付の『創価新報』に掲載されたのが変造写真(2)です。
『創価新報』はこの写真についても、
「この日は特に興に乗ったのか、一座と写真に納まる大サービスぶり。脂(やに)下がった顔での『記念撮影』と相成った次第です。」
と評したうえ、大見出しにて、
「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』? 猊座の後はここにキマリ 猊座がなくても『芸座があるサ』これぞ極めつけ「ワシ、もう『成仏』しそう」と掲げ、
「だって猊座を追われてもワシにはちゃんと別の『芸座』があるからね」
などと結び、この写真を報道しました。
この写真についても、真正の原盤写真が発見されました。それがこの真正写真(2)です。
この写真の変造方法は、先ほどの「学会の言い訳」で言うところの「トリミング」です。はじめに『創価新報』に掲載された写真では背景が消されていましたが、人物等を合成しているわけではないので、最初の偽造写真とは違います。
しかし問題なのは、平成5年2月17日付の『創価新報』にあらためて掲載された、背景を復活させた写真を、
「これぞノーカット版」「これでも偽造写真と言うか!」
などと言い放っている点です。背景を復活させているので、最初の写真とは違い「偽造」ではないでしょう。しかし断じて「ノーカット版」ではないのです。
真正写真を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)のとおり、この写真は単なるスナップ写真です。
呆れたことに創価学会は、原版に写っている左右の人物を故意にカットし、それをわざわざ「ノーカット版」などと偽って『創価新報』に掲載し、あたかも猊下が多くの芸者衆と遊んでいる邪淫現場のごとく見せかけていたのです。
これは、事実を曲げて報道するために行われた「写真の捏造」であり、御法主上人猊下を貶(おとし)めるための謀略に他なりません。目的のためには手段を選ばぬ創価学会の体質が、ここに如実に顕れています。