【立教】明治25年
【教祖】出口なお(開祖)、出口王仁三郎(聖師)
【祭神】大本皇大神
【教典】出口なおの「お筆先」を編集した『大本神諭』、出口王仁三郎が口述した『霊界物語』
【立教】明治25年
【教祖】出口なお(開祖)、出口王仁三郎(聖師)
【祭神】大本皇大神
【教典】出口なおの「お筆先」を編集した『大本神諭』、出口王仁三郎が口述した『霊界物語』
大本(おおもと)は、開祖・出口なおと、その娘婿である出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)の2人を教祖とし、「神が世の中を立て直し、地上天国<みろくの世>を建設する」と主張する教団です。
出口なおは天保7年(1836年)、現在の京都府福知山市に生まれました。
19歳の時に結婚して11人の子供をもうけましたが、そのうち3人は早くに世を去り、三男五女を育てました。しかし明治20年、出口なおが51歳の時に夫が死去し、幼児を抱えて生活は困窮(こんきゅう)していたといいます。
そんななか明治25年、出口なおが57歳の時、「艮(うしとら)の金神(こんじん)」がなおに神がかりました。この金神は「表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ」と言ったそうです。教団では、この日を「大本開教の日」としています。
その翌年、神がかった出口なおの奇妙な言動に親族は動揺し、彼女を座敷牢に閉じこめました。その時、文字の書けなかった出口なおが、神の言葉を牢内の柱に釘で書いたといいます。これがなおの「お筆先」の始まり、ということになっています。
その後、出口なおは病気治しの祈祷をし始め、「綾部の金神さん」と評判になり、日清戦争の開戦を予言し的中したということで信者が増えていきました。
その評判を聞きつけた金光教(別項参照)は、なおと協力して布教するために、彼女の元に布教師を派遣し、明治27年になおの信者を中心とした教会を開設しました。この教会では「金光大神」と「艮の金神」を併用して祀(まつ)り、なおはそこに住んで病気治しを中心に布教し、農家の信者が増えていきました。
しかし、金光教の布教師が「艮の金神」と「お筆先」を軽視したため、出口なおは金光教から離れることとなり、明治30年に艮の金神を祀る教会を開きました。しかし金光教と別れたことで非公認となった彼女の宗教活動は、警察から頻繁(ひんぱん)に干渉されるようになりました。
出口なおは、自分の教えを体系化し、「艮の金神」や「お筆先」の意味を解説し、これを世間に認めさせてくれる人物を切望したといいます。そんなとき、彼女の元を訪れたのが出口王仁三郎(本名・上田喜三郎)でした。
上田喜三郎は、病気治しと審神者(さにわ=人々に神がかる神(霊)の正邪を見分ける)などをしていた人です。
明治31年、喜三郎は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の分霊から「園部の方へ行け」という神命を受けたということで、京都の亀岡から園部に向かう途中、綾部の出口なおと出会うことになりました。
そして明治22年、なおが教主、上田喜三郎を会長として「金明会」を発足し、すぐに「金明霊学会(きんめいれいがっかい)」と改め、稲荷講社の分会として宗教活動の合法化をはかりました。
明治33年、出口なおは五女すみを後継者と定め、すみと喜三郎を結婚させ、喜三郎を婿養子にしました。明治35年には喜三郎夫婦に長女(のちの3代教主)が誕生し、この時から喜三郎は「王仁三郎」と改名しました。
明治41年以降は、教団運営の中心者は王仁三郎となり、大正3年には教団名を「皇道(こうどう)大本」と改称しました。このころから経済人、軍人、知識人の入信が増え、また王仁三郎は出口なおの筆先を自ら編集し、『大本神諭(おおもとしんゆ)』として機関誌に発表するようになりました。
大正7年に出口なおが死去し、五女すみが2代教主に就任しました。
大正9年、大阪の大正日々新聞を買収した教団は、大阪朝日新聞や大阪毎日新聞を上回る発行部数でこれを再刊し、「世の立直し」を主張して布教・拡大を目指しました。これが不敬罪および新聞法違反ということで、王仁三郎と幹部2名が起訴されましたが、控訴中に大正天皇の崩御(ほうぎょ)にともなう大赦(たいしゃ)で無罪となりました。これが「第一次大本事件」と呼ばれるものです。
大正10年秋ごろより、王仁三郎は自分が見聞したという神界の内容なるものを口述し始め、これを『霊界物語』として刊行しました。
第一次大本事件を契機として、王仁三郎は従来の排外(はいがい)思想をやめ、大本の教えを世界に布教する目的で「万教同根(ばんきょうどうこん)」を主張し始めました。しかし政府は、教団が組織した「昭和神聖会」を反体制組織と見なし、「大本をこの世から抹殺する」として第二次弾圧を始めました。
こうして不敬罪および治安維持法違反で、王仁三郎以下、1000名弱の教団関係者が検挙され有罪判決を受ける事態となりましたが、上告中に終戦となり、全員が無罪となりました。
昭和21年、教団は宗教法人「愛善苑(あいぜんえん)」として再発足しましたが、昭和23年には王仁三郎が死去し、昭和27年には2代教主すみこが死去しました。そして王仁三郎・すみこ夫妻の長女・出口直日が3代教主となり、教団名を「大本」に改称しました。
平成13年には、出口紅(くれない)が5代教主となっています。
大本では、祭神を「大本皇大神」としています。この神は、宇宙の根元にして万物生育の源である大元霊・主神(すしん)と、その分霊であるすべての神々を総称したものだそうです(これは最初に登場していた「艮の金神」もいっしょなのでしょうか)。
また信者は、教主が書写した「神体」と、教団で浄(きよ)め直した先祖の霊を祀ります。
教典としては、開祖・出口なおが霊告によって書いたという「お筆先」を、王仁三郎が解読・編集した『大本神諭』と、王仁三郎の口述をまとめた『霊界物語』を根本教典としています。
■霊界が主体
まず教団では、「宇宙は、非物質的・不可視的世界である<霊界(心霊界・幽界)>と、物質的・可視的世界である<現界(形態界・顕界)>の2つから成立している」と主張し、しかも「現界は霊界の移写(いしゃ)であり、縮図である」と主張しています。
■みろくの世の建設
教団では、「滅亡寸前である末法(まっぽう)の世を立て直して、恒久平和の世界(みろくの世、地上天国)を築く計画を実行する」と主張しています。そのために遣(つか)わされたのが出口なおであり、救世主神・みろく様が出口王仁三郎なのだそうです。
■霊主体従
教団では、「すべての存在は霊を主、体を従とする<霊主体従(れいしゅたいじゅう)>の原則によって構成されている」といいます。したがって体を二次的に考えて行動することが原則にかなった生き方であると主張しています。
そこから教団では、「祭(さい=祭の実践)」「教(きょう=大本の教典によって神意を学ぶ)」「慣(かん=人間は神の子であるとし、その良能良質を開発・活用)」「造(ぞう=それぞれふさわしい職業に従事する)」という<四大綱領>を説いています。
さらに、その四大綱領に基づいて「清潔主義(不浄を浄化)」「楽天主義(天命を楽しむ)」「進展主義(悪を改善する意欲を持って前進)」「統一主義(神を中心とし、万教同根の真理に断って統一をはかる)」という<四大主義>を実践することによって、天国的生活を営むことができると主張しています。
また教団では人間の死について、「肉体から霊魂が離脱することで、それはまた霊界への復活である」などと言い、たとえ肉体が滅んでも霊魂は不滅であり、霊魂は死後も、意志・感情・知性をそなえて霊的働きをする存在であると主張しています。
そのため教団では祭祀(さいし)を重視し、「みたま祭り」その他10種の祭祀を行うように信者に指導しています。
大本や金光教(別項参照)など、新興宗教に多く見られる「神がかり信仰」ですが、この「神がかり」というのは何なのでしょうか。
精神医学では、この神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。
もし皆さんの家族がこのような状態になって「私は神のお告げを受けた」などと口走ったら、どう思いますか?
普通は「早く病院に連れて行かなきゃ」と大騒ぎになるでしょう。「神のお告げを受けたとは、何と素晴らしいことでしょう」などと信じる方がどうかしているわけです。
出口なおが最初に神がかったとき、彼女を座敷牢に閉じこめた親族の行動も、当時のこととしては当然の対応であったと思います。
このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている宗教など、まともに信ずるに値(あたい)しませんし、誰もこれで救われることなどありません。
大本が金光教と違って、ある程度の教義らしきものを備えることができたのは、ひとえに出口王仁三郎の創作手腕のよるところでしょう。出口なお一人であったら、金光教と同じ状態であったろうと思われます。
さて教団では、神意を伝えるものが「お筆先」であるとし、出口なおの最初の筆先を明治25年としています。
しかし大正8年の京都府警の調査報告書によると、警察が捜査した際、その現物が出てこなかったそうです。その点を王仁三郎に尋問すると、
「(筆先の原稿を作るときに)年月日と組立等を、開祖なおに尋(たず)ね乍(なが)ら書いたのであるから、誌上の稿になったものと同じお筆先は実際にはありません」
と答えたそうです。つまり、教団の根本教典である『大本神諭』は、神の言葉でも何でもなく、王仁三郎の創作によって誕生したものだったわけです。
教団では「たとえ肉体が滅んでも霊魂は不滅であり、霊魂は死後も、意志・感情・知性をそなえて霊的働きをする存在である」などと主張しています。これはまさに外道(げどう=仏教以外の教典)の迷妄(めいもう)です。
仏教ではこうした思想を「常見(じょうけん)」と呼び、霊魂や霊界といった存在を否定します。
仏教では、一切の生命・生物の死後の生命は、法界(ほうかい)に冥伏(みょうぶく)し、過去世(前世)の業因(ごういん)によって、縁(えん)にふれてそれぞれの運命・境遇に生まれてくると説いています。
大本や世間で言う「霊魂不滅論」などは、この因縁の大原理によって変相流転(へんそうるてん)する生命の一面を、わずかに垣間(かいま)見たものに過ぎません。その一面をもって「これが真実である」とすることは、仏教から見れば低劣な教理であり、個我(こが)に執着する誤謬(ごびゅう)なのです。
出口王仁三郎は「胎教の必要性」について問われ、
「必要やとも。妊娠したらすぐに妊婦の部屋はきれいにして、きれいな絵をかけておくときれいな子ができる。(中略)妊娠中に妊婦が火事を見ると本当に(子供に)アザができる」
などと答えています。
物事というのは、すべてにおいて「原因があって結果が生じる」というのが当たり前の道理です。それにひき替えこの王仁三郎の、因果を無視したデタラメな放言はいったい何なのでしょうか。
このような俗人を聖師と呼び、救世主神・みろく様とするのが大本です。このような低級なものを信じても、誰一人として救われることなどあり得ません。
以上、ごく簡単ではありますが、大本の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。
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