【創立】昭和10年1月
【創始者】岡田茂吉(明主)
【信仰の対象】大光明真神
【教典】『天国の礎』『神示の健康』『祈りの栞』『美の世界』など
【創立】昭和10年1月
【創始者】岡田茂吉(明主)
【信仰の対象】大光明真神
【教典】『天国の礎』『神示の健康』『祈りの栞』『美の世界』など
世界救世教(せかいきゅうせいきょう)は、大本(別項参照)の影響を強く受けた教団で、一般には「お光りさま」などと呼ばれています。
この教団は、「浄霊(じょうれい)」と称する「手かざし」を行うことが特徴で、自然農法による食品販売や、熱海市の「MOA美術館」を有することでも知られています。
明治15年に生まれた岡田茂吉は、幼少から病弱で、20歳を過ぎるころまでさまざまな病気を患(わずら)い続けました。
闘病中に薬の効果があまりなかったということで、薬を使いすぎることはかえって毒であると考えた茂吉は、それ以来「薬に頼ることは人間本来の治癒力を弱める」という、「薬毒論」にいたりました。これが後に、教団の教義として「健康法」を取り入れる元になったようです。
大正9年に大本に入信した茂吉は、大本の『お筆先』を中心に神霊の研究に没頭。そうした中、昭和元年には、観音が自分の体に宿ったとして「私の腹中には光の玉がある」などと言い出し、さらに昭和6年には「霊界の昼夜転換」なる天の啓示とやらを受けたのだそうです。
昭和9年、大本を脱会した茂吉は「岡田式神霊指圧療法」なるものを始め、昭和10年には「大日本観音会」を創立しました。これは、茂吉の体に宿ったという観音の力による「浄霊」によって理想世界の建設を目的とするものだったそうです。
しかし、こうした心霊術と指圧による治療は、患者の体に直接触れるためいかがわしい行為とされ、昭和11年と15年の2回、茂吉は医師法違反で逮捕されています。
それでもかなりの財力を蓄えた茂吉は、教団の本拠地を東京から熱海に移し、以来「地上天国(霊界の昼夜逆転によって現世界が明るい昼に転換して、天国的な美の世界となる)」を目指し始めました。
そして「日本浄霊化普及会」、宗教法人「日本観音教団」などと推移した教団は、昭和25年に「宗教法人世界救世(メシヤ)教」となりました。
この時、茂吉は「観音の衣(ころも)をかなぐり捨てて、メシヤ(救世主)へと衣替えをした」などと言い始めましたが、この直後、脱税と贈賄の容疑で検挙され有罪判決を受けました。
昭和30年に教祖・茂吉が死去し、妻である岡田よしが2代目に就任しました。しかしその直後に教団内に対立が起こり、いくつかの派生教団が生まれました。
昭和32年、教祖・よしは教団の名称を「世界救世(きゅうせい)教」と変更。仏教的な要素を薄めて、神道式の儀礼に統一していきました。その後、3代目教主(茂吉の三女)を経てその後、岡田陽一が4代目教主となりました。
その間、教団の一元化などをめぐって各地の多数の教会が執行部に反発し、次々と独立して新教団を発足させました。その中には「世界真光文明教団」と、さらにその派生である「崇教真光」(共に別項参照)、「みろく真教」「救いの光教団」「黎明教会」「救世真教」などがあります。これらの教団では、浄霊の「手かざし」など共通点も多くあります。
また世界救世教は、病気治しの浄霊のほかに、自然農法の普及と自然食運動も重視しており、この関連には「伊豆・大仁農場」「自然農法国際研究開発センター」「MOA健康科学センター」など多くの施設があります。
さらに美術・芸術活動も盛んで、「箱根美術館」、熱海の「MOA美術館」などを持っています。その他、企業グループの「MOAトラベルサービス・MOA商事」なども設立し、積極的な事業展開もしています。
世界救世教では、信仰の対象を「大光明真神(みろくおおみかみ)」としています。
茂吉は「神から心霊を与えられた」だの「私の腹中には光の玉がある」などと言い、またあるときは「観音菩薩の力を得た」と言ったかと思えば、そのあとには「観音の衣を脱ぎ捨ててメシヤになった」などと、神道・仏教を混ぜこぜにした発言を続けていました。
そして最終的には「釈迦・キリスト・マホメットの三大聖人も神人合一(しんじんごういち)ではない。しかし私は、神と人との区別がなく、真の神人合一である(趣意)」などと自著に述べているように、「自分は三大聖人を超越した神の立場である」と言い出しました。
現在の教団は、この真の神を「大光明真神」と称して祭神とし、これを一体化した教祖・茂吉こそ世界人類の救世主(明主)であるとしているのです。
これは、教祖の茂吉が天の啓示を受けたとかいう「霊界の昼夜逆転」によるものです。
この世界には、人間の住む「現界(げんかい)」と、目に見えない「霊界」の二つがある。霊界には昼(善)と夜(悪)があり、今までは霊界の夜の時代であったが、これがまもなく転換して昼の時代となり、この霊界の善が現界におよんで、この世に地上天国が出現する・・・というのが「霊界の昼夜逆転」です。
そして、この一大転換期に世を救うために出現したのが教祖・茂吉なのだそうです。
教団での儀礼の中心は「浄霊」というものです。
これは「私の腹中には光の玉がある」などとしていた茂吉が、相手に「光」の文字を書いた紙をたたんで懐(ふところ)に入れさせ、それに向かって手をかざすことによって、茂吉の体内の光の玉からの「光波」が供給され、救済されるとしていたことによります。
現在では、信徒は教祖から与えられた文字など「おひかり」というものを身につけ、病人や相談者に対して手をかざし、「光」をなぞる動作をすれば、苦悩の原因となっている「霊の曇(くも)り」を浄化させ、「病気・不幸・争いをなくせる」としています。
また別に、健康に関連して「自然農法」を主張し、「MOAブランド」として食料品を流通・販売しています。これは病気を最大の災厄(さいやく)としていた茂吉が、前述の「薬毒論」を主張したことに始まっていて、献金などとともに、信者の修行・奉仕活動の中心となっています。
茂吉は、観音が自分の体に宿ったとして「私の腹中には光の玉がある」などとしていましたが、ホントにそう思っていたのであれば、これは多くの新興宗教の教祖に見られる「神がかり」と同じものです。
精神医学では、この神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。
もし皆さんの家族がこのような状態になって「観音が自分の体に宿った」「私の腹中には光の玉がある」などと口走ったら、どう思いますか? 普通は「早く病院に連れて行かなきゃ」と大騒ぎになるでしょう。それを真(ま)に受けて信じるほうがどうかしているわけです。
このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている宗教など、まともに信ずるに値(あたい)しませんし、誰もこれで救われることなどありません。
それに茂吉の場合、「神から力を授かった」と言いながら「自分は神と同じで三大聖人よりも上」とするなど支離滅裂(しりめつれつ)で、矛盾だらけの御都合主義です。
教団では、手かざしによって「霊の曇り」を浄化させ、これによって病気・不幸・争いをなくせるなどと言っています。これは「人の体に残留する汚物が毒素となり、霊の曇りとなる」のだそうですが、こんなものはまったく意味不明な、デタラメにこじつけた勝手な稚論(ちろん)でしかありません。
それに教団では、手かざしによって大漁や豊作になったり、故障したエンジンがなおったなどと奇跡を売り物にしています。
しかし現実には、手かざしをして、あらゆる苦悩の原因である霊の曇りをなくしたはずなのに、この教団では跡目(あとめ)争いや内紛が続き、たくさんの新教団に分裂したりしています。
要するに、手かざしだの浄霊だの、そんなものは何の役にも立たないことを、教団自体が実証しているようなものです。
教団では、教祖に力を与えたという観音について、
「その本体は、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の慈悲による救世の代現神・伊都能売大神(いずのめのおおかみ)であり、これが仏身に姿を変えてインドに渡り、観音の立場として釈迦を悟りに導いた。したがって仏教の元は観音である。この伊都能売大神は大光明真神(みろくおおみかみ)の霊系である」
などという、神道と仏教をゴチャ混ぜにした、何の脈絡もない意味不明の説明をし、大光明真神とつなぎ合わせようとしています。このデタラメな説明こそ、「大光明真神」が実体のない架空の存在であることを自白しているのと同じです。
過去に、茂吉を写真に撮った際、「観音・お光り・竜」などが同時に写っていたという「霊写真」を宣伝したことがありました。
しかし後になって、読売新聞によって「二重写しの偽造写真」であることが明かされてしまっています。
これらの写真を撮影したのは、茂吉と共謀した柴田延太郎という人で、彼は「観音様の掛絵を先に撮った二重写しが千手観音、窓から差し込んだ太陽光線が鏡に反射したのがお光り、タバコの煙が突風で渦巻になったのを撮ったのが竜」(趣意)と暴露してしまったのです。
しょせんは詐欺師まがいの欺瞞(ぎまん)に満ちた教祖様であり、これが世界救世教の実態なのです。
以上、ごく簡単ではありますが、世界救世教の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。
Copyright(c) 2005 HYAKKA RYOULAN. All Rights Reserved.