【門祖】日隆
【本尊】宗祖奠定の大曼荼羅
【経典】妙法蓮華経開結十巻・日蓮遺文
【四大本山】光長寺・鷲山寺・本能寺・本興寺
【門祖】日隆
【本尊】宗祖奠定の大曼荼羅
【経典】妙法蓮華経開結十巻・日蓮遺文
【四大本山】光長寺・鷲山寺・本能寺・本興寺
法華宗(本門流)は、宗祖の本弟子六人(六老僧)の中の、日朗の弟子である日像の流れをくむ日隆が、室町時代のはじめに「本門八品正意」(別名・神力正意)という独自の本迹勝劣義を主張し、一致門流から分派独立した一派で、八品派とも呼ばれています。
日隆門流は、日陣門流らとともに「勝劣派」を形成していましたが、明治9年、妙蓮寺・光長寺・鷲山寺・本能寺・本興寺の五山は勝劣派から分裂して「日蓮宗八品派」と称し、明治31年には「本門法華宗」と改称しました。
昭和16年には、政府の宗教政策によって再び日陣門流らと合流し「法華宗」と総称するようになりましたが、昭和25年に妙蓮寺が離脱して「本門法華宗」と名乗り、昭和27年には残った日隆門流の四山と末寺で教団を形成して「法華宗(本門流)」と公称して、日陣門流(法華宗陣門流=別項参照)等とも分裂し、現在に至っています。
日隆門流の根本教義は「八品正意」です。
これは『法華経』二十八品のうち、特に「従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五」から「嘱累品(ぞくるいほん)第二十二」までの本門八品を選び、「この八品に顕れた神力付嘱(しんりきふぞく)・上行所伝の妙法のみが、久遠(くおん)の本仏の正意であり、宗祖の正意である」という主張です。
日隆がその根拠とするのは、『観心本尊抄』の、
「本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊(もんじゅ)薬王等にも之を付嘱したまわず(乃至)但(ただ)地涌千界(じゆせんがい)を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、(乃至)是(か)くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し、八年の間但八品に限る」
の「但八品に限る」の御文で、これによって日隆は寿量品と神力品に勝劣を立て、寿量品を中心とした一品二半(いっぽんにはん)を「在世本果脱益の迹」とし、神力品において結要(けっちょう)付嘱された「上行所伝の南無妙法蓮華経を本」として、「神力付嘱・本因下種の妙法」を最勝であると主張しました。
日隆は、仏が寿量品に明かした久遠の妙法を「脱益(だっちゃく)の本果妙」とし、これを末法に下種する上行別付の妙法こそ「本因妙の修行である」として正宗一品二半の絶待妙(ぜったいみょう)と、本門八品所顕の相待妙(そうたいみょう)に種脱・事理の区別を立てています。
日隆は、『観心本尊抄』の、
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但(ただ)し彼は脱、此(これ)は種(しゅ)なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」
との御文を、「在世と末法、種と脱の異りはありとも、其の体(たい)はこれ同じ。故に一同に純円なりとは釈するなり。(中略)所詮(しょせん)一品二半と八品とは一妙の上の種脱の上の種脱、在世滅後なり。故に一法の二義と得意すべきなり」と解釈して、在世と滅後という時機の違いによる勝劣を説き、法体(ほったい)に勝劣はないと主張しています。これが「種脱一双」です。
日隆は、『観心本尊抄』の
「是(か)くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し、八年の間但八品に限る」
との御文を拠(よ)り所にして、「八品正意」を立てています。
しかし、「但八品に限る」という意味は、末法に本尊を弘通(ぐづう)すべき地涌(じゆ)上行は『法華経』二十八品の中でも八品に限って顕れ、結要(けっちょう)付嘱の儀式を済ませて去る、という「付嘱の始終」を示されたもので、「本尊の正体が法華経の本門八品に初めて明かされた」という意味ではありません。
本門八品に示された内容とは、
「涌出品」……付嘱の人である地涌千界(じゆせんがい=上行菩薩を上首とする地涌の菩薩)が召し出される
「寿量品」……付嘱の法体(ほったい)である本尊が説き明かされる
「分別功徳品」……本尊の一念信解の功徳が示される
「随喜(ずいき)功徳品」……五十展転の功徳が示される
「法師(ほっし)功徳品」……本尊を護持する五種の妙行の功徳が示される
「不軽(ふきょう)品」……末法における本尊弘通の方軌(ほうき)が示される
「神力品」……寿量品の本尊が上行菩薩に結要付嘱される
「嘱累(ぞくるい)品」……付嘱を終えた上行等が退座する
であります。この八品を日蓮大聖人が「但八品に限る」と仰せられた「限る」の意味は、八品すべてに通ずるものです。
すなわち、地涌千界の出現は「涌出品」に限られ、本尊所顕は「寿量品」に限られ、結要付嘱は「神力品」に限られると読むのが宗祖の正意であり、ここに、寿量品所顕の本尊を中心とした本門八品の意義が、正しく理解できるのです。
日蓮大聖人は『新尼御前御返事』にも、
「此の御本尊は(乃至)宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累品に事極まりて候」
と、「八品には、寿量品に説き顕した本尊の付嘱の始終が明かされている」旨をお示しであり、「八品所顕の本尊」など、どこにも説かれてはいません。それをねじ曲げて「八品所顕の本尊、但(ただ)八品に限る」と主張する日隆は、宗祖の正意を知らぬ誤謬(ごびゅう)の徒でしかありません。
また日隆は、同じく『観心本尊抄』の、
「但(ただ)地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ」
の御文の「之」を「八品所顕の本尊」と曲解(きょくげ)しています。
しかしここでの「八品を説いて」とは、前述の通り、通じて本化(ほんげ)の菩薩への付嘱の始終を示されているのであり、「之を付嘱し」とは、別して寿量品の肝心を付嘱したことを示すものです。
日隆は「八品」の語句に固執し、御書にもまったく一言一句もない「八品の仏・本尊」を立てる本門流の主張は、御書の正意に迷い混乱した主張なのです。
日隆は、「神力品」の結要付嘱を示した「皆於此経 宣示顕説」の「此経」を、勝手に「神力品」と解釈し、「神力品において付嘱の要法(ようぼう)がすべて顕説され、上行菩薩に付嘱された」と主張しています。
しかし『観心本尊抄』には、
「伝教の云はく『又神力品に云はく、以要言之、如来一切所有之法、乃至宣示顕説已上経文。明らかに知んぬ、(乃至)皆法華に於て宣示顕説するなり』等云云」
とあり、「神力品」の「此経」とは、寿量品の観心を含む「法華経一経」を指すことが示されているのです。それを日隆はあえて「神力品一品」だと曲解し、誤った解釈をしているのです。
「神力品」には、寿量品の文底に秘沈された、結要付嘱の正体を上行菩薩に譲る「付嘱の儀式」が説かれたに過ぎず、「神力品で宣示顕説された『神力品の肝要』『神力品の本尊』など、どこにも説かれてはいないのです。
すべては、宗祖の本懐(ほんがい)である「寿量品の本尊」に迷い、どこまでも「神力品」に執着した日隆の邪見・己義(こぎ)でしかありません。
日隆は、『観心本尊抄』の、
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但(ただ)し彼は脱、此(これ)は種(しゅ)なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」
との御文を勝手に解釈し、釈尊在世と滅後末法の衆生を得脱せしめる仏の悟りはまったく同じであるとして、その法体(ほったい)に勝劣を認めない「種脱一双(しゅだついっそう)論」を主張しています。
しかしこの御文は、「法華経によって成仏を得る衆生」という意味では「一同に純円」であっても、在世の衆生は本已有善(ほんいうぜん)といって、過去に善根(ぜんごん)あるゆえに脱益(だっちゃく)仏(=釈尊)によって脱益の法華経(一品二半)が説かれ、末法の衆生は本未有善(ほんみうぜん)といって、過去に善根無きゆえに、末法下種の仏(=日蓮大聖人)である地涌上行菩薩によって、寿量文底下種の妙法が説かれる……という、すなわち「種脱相対」を明確に示された御文であります。
日隆は、久遠の釈尊に固執するあまり、大聖人の「寿量文底下種の妙法」を、在世の釈尊の悟りである「法華経文上脱益の妙法」を混同し、「一同に純円」との一往(いちおう)の御文を「一法の二義」などと曲解し、再往(さいおう)「但(ただ)し彼は脱、此(これ)は種(しゅ)なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」と大聖人が明確に示された「種脱相対」を「種脱一双」と改変してしまったのです。
日隆は、宗祖の深遠の御法門をまったく理解できずに、曲解に曲解を重ね、宗祖の本意から遠くかけ離れた己義に執着する、謗法の徒に他なりません。
以上、法華宗本門流について、その邪たる所以を述べました。法華宗本門流は、日蓮大聖人を敬うような振りをしていても、その実態は大聖人様の教えとは似ても似つかぬ、大謗法の邪宗教でしかありません。
『涅槃経(ねはんぎょう)』には、
「邪宗の僧侶や幹部は、いかにも聖人君子のごとき人格者を装い、わずかばかりの経典を読んだりしていても、常に内心は信者から布施や寄付をしぼり取り、自分の身を長く養うことばかり考えている。袈裟(けさ)を着ているといっても、それはまるで、猟師が狙った獲物を細目でにらみながら忍び寄っていくごとく、また猫がねずみに跳びかかろうと身構えているごとく、少しでも多額の布施・寄付を搾取(さくしゅ)しようと、信者を狙っているのである」
という趣旨の経文があります。皆さま方におかれましては、間違ってもこのような邪法邪師の邪義に惑わされることなきよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。
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