これまで、池田大作の抱いてきた慢心の正体……「池田本仏論」の中味を検証し、それが、正本堂解体によって完全に崩壊したことを述べてきた。だが本来、池田本仏論なとどいう邪義は、本宗の教義に照らして存在しうる余地すらなかったのである。
ここに、池田本仏論の誤りを、教義上から破折しておくことにしよう。
大聖人出世の本懐は大御本尊建立 三大秘法は全て大御本尊に具わる
そもそも、仏が世に出現せられるのは、まったく偶発(ぐうはつ)的なものではなくて、一大事の因縁(いんねん)によるのである。「一大事の因縁」とは、『法華経方便品』に
「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得(え)せしめんと欲(ほっ)するが故に、世に出現したもう。(中略)舎利弗、是(こ)れを諸仏は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故に、世に出現したもうと為(な)づく。」
(法華経102頁)
と説かれるように、一切衆生を成仏せしめよう、との大目的である。
これを、インド応誕(おうたん)の釈尊についていえば、釈尊出世(しゅっせ)の一大事因縁は、法華経を説いて在世の衆生を成仏へと導くことであった(これを出世の本懐ともいう)。
日蓮大聖人におかれては、『御義口伝』等に、一大事因縁とは事の一念三千・南無妙法蓮華経なり、と示され、さらに
「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」
(御書1396頁)
と仰せられて、弘安2年10月12日、事の一念三千の当体たる本門戒壇の大御本尊を建立せられた。この大御本尊の建立こそ、大聖人出世の一大事因縁であり、出世の御本懐に他ならぬのである。
この本門戒壇の大御本尊は、末法万年にわたって一切衆生を成仏せしめる根源の法体(仏法の本体そのもの)であり、第二十六世日寛上人が 「三大秘法を合する則(とき)んば但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」
(聖典863頁)
と仰せのごとく、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊である。
大聖人は末法に再び出世されない
さて、こうした筋道の上から拝(はい)すれば、御本仏日蓮大聖人は、末法の世に出世あそばされた大目的(一大事因縁・出世の御本懐)を三大秘法総在の大御本尊として、余すところなく成就(じょうじゅ)され、御入滅(ごにゅうめつ)なさったのであるから、この地球上の末法時代には、二度と再び出世あそぱされないのである。
ゆえに、『法華経方便品』には
「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐ)すること難(かた)し」
(法華経125頁)
と説かれ、第六十七世・日顕上人猊下は、
「末法万年の間に、御本仏日蓮大聖人様が再び人間の形をとられてお生まれになるということは、二度と再びないのであります。そのかわりに大聖人様は、本門戒壇の大御本尊様として末法万年の闇を照らされるわけでございます。そこのところは、はっきりしなくてはいけません」
と仰せられている。
したがって、他の人師・論師や大衆であればいざしらす、御本仏に限っては、いったん出世の本懐を遂げられれば同じ時代に再び出世されることはありえない……この道理に違背(いはい)して、もし、大聖人が再び末法に出世あそばされるというならぱ、大聖人は700年前、出世の本懐を遂げられずに、説き残しをされたまま御入滅された仏、ということになってしまう。御本仏に対する冒涜(ぼうとく)、これに過ぐるものはない。
池田大作は提婆達多と同類の魔仏
以上のことから、像法時代の論師である天台が伝教として再誕(さいたん)することはあっても、御本仏・日蓮大聖人が地球上の末法時代に再誕することはありえない。しかるに池田大作は、あろうことか、自らを大聖人の再誕と思いこみ、また、周囲にもそう見せようと振る舞ったのである。
これは、まさに、自ら釈尊より勝(すぐ)れるとの慢心を起こし、眉間(みけん)に偽の白毫相(びゃくごうそう)を張り付けて仏になりすまそうとした、かの提婆達多(だいばだった)と同類の魔仏(魔が仏のふりをしていること)というべきであろう。
また、「大聖人が顕わされたのは本門の本尊と題目のみで、残された本門の戒壇を後世の池田が建立することによって、はじめて三大秘法が完結する」との池田の考えも、本門戒壇の大御本尊の当体にすでに三大秘法の全てが具わっている、との「三大秘法総在」の深義(じんぎ)が理解できていないための浅識(せんしき)である。
なるほど、大聖人は『三大秘法抄』及び『一期弘法抄』に、将来、広宣流布を果たすべきことと、その広布達成を象徴する、全世界の信仰の中心道場としての本門寺戒壇を建立すべきことを、門下一同に御遺命せられている。
しかし、それは、あくまでも大聖人が建立せられた根源の法体(三大秘法総在の大御本尊。そこには、もとより本門の戒壇も具わっている)を弘め、敷衍(ふえん)していく目標であって、それによって三大秘法が完結する、などというわけではない。
三大秘法は、大聖人が大御本尊を建立せられた時点で、すでに成就しているのである。
したがって、また、未来の弟子檀那(だんな)が、広宣流布を達成し本門寺戒壇を建立したとしても、それは本師が成就し確立された法を、弟子の立場で弘めたにすぎないのだから、『報恩抄』等に挙(あ)げられた天台・伝教の例とは異なり、弟子分にある者が大聖人と肩を並べたり、大聖人を超越することなど、まったくできえない。
それを、「我は大聖人より勝れたり」と傲(おご)り昂(たかぶ)った池田大作は、まさに劣れる凡夫が自ら聖人より勝れると思いこんだ、堕地獄必定(ひつじょう)の大増上慢である。
「折伏を現ずる賢王」の文意を拝す
最後に、『御心本尊抄』の
「此(こ)の四菩薩、折伏を現する時は賢王となって…」
(御書661頁)
の御文であるが、これとて、総体の地涌(地涌の四菩薩の総ての徳性を御一身に具える上行菩薩)たる御本仏日蓮大聖人が、再び在家の賢王として出現する、などという意味ではない。
すでに、御本仏日蓮大聖人が再び末法地球上に出世されることはありえない、との道理は示したとおりである。では、この御文の意は、といえば、大聖人が諸御抄に
「日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺(※四条金吾)の御身に入りかはらせ給へるか」
(御書1161頁)
「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶらひ給ふか。不思議なり不思議なり」
(御書793頁)
「日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。(中略)上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か」
(御書1393頁)
等と仰せのように、地涌の四菩薩の用(はたら)きを分々になす人々が現われ、大聖人の仏法を護り弘めていく……すなわち別体の地涌の一つの姿として、『本尊抄』では、在家賢王の折伏を示されたものと拝するのである。
また、この御文について、第二十六世・日寛上人は
「或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」
(文段284頁)
と釈せられ、この賢王出現の時を「順縁広布の時」……すなわち、時いたって三大秘法が国中に広宣流布する、その時のことと仰せられている。
それは、おそらくは『三大秘法抄』に、広宣流布の暁(あかつき)の相として、
「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくぴく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」
(御書1559頁)
との御金言があることから、広布の暁には、命がけで覚徳比丘を護った有徳王のごとき強信の賢王が出現される、との意によって述べられたものであろう。されば、この在家の賢王は、正法護持(ごじ)の僧を護って、命がけで謗法者と闘う、護法の士であらねばならない。
間違っても、「創価学会こそが現代における僧宝」などと言って、自らが僧に成り替わろうとしたり、護るべき僧を攻撃・弾圧したりするような者が、賢王であろうはずがないのである。
また、順縁広布の時の賢王は、仏法上からは転輪聖王(てんりんじょうおう)の出現といわれるが、公(おおやけ)のスピーチの席で、
「お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れる」
(平成5年1月27日)
「ハワイ!(中略)マハロー! バカヤロー! バッハロー!」
(平成5年1月27日)
「もっといいのは、キンマン、いやキン○○コだよ!」
(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
等々の言葉を垂(た)れ流す、池田大作のような愚劣で下卑(げび)た男が、転輪聖王などである訳がない。
こうした池田の実態を、我が目と耳で見聞きしていながら、まだ、池田を大聖人の再誕と崇(あが)め、池田が転輪聖王であることを証明しようとしているような創価学会員は、すでに魔に魅(み)いっせんだい)人と成り果てた、というべきであろう。
<『慧妙』平成13年11月1、16日付、12月1日付より転載>