顕正会【付録2】破廉恥な教団名の変遷経緯 顕正会【付録2】破廉恥な教団名の変遷経緯

【付録2】
破廉恥な教団名の変遷経緯


教団名変更の経緯

日蓮正宗妙信講(昭和32年8月~)

◎「時の御法主は、英邁の聞こえ高き第65代日淳上人であられた。妙信講の発足に際しては、一部僧侶の間に怨嫉があったが、日淳上人は深く妙信講を御信頼下さり、将来の御奉公を期待され、『妙信講は熱原の法華講衆のごとく戦う法華講となり、御奉公せよ』と仰せになって、異例の認証式を総本山で行なって下さった」(冨士314号)

◎「講頭以下並みいる幹部は、この御慈悲にただ感涙した」(冨士271号)

◎「この使命を果たさんとしているのは、日蓮正宗広しといえどもいま妙信講以外にない。この妙信講がもし日蓮正宗を名乗らなかったら、どこに名乗る講中がありましょうか。今、創価学会・宗務院は日蓮正宗と名乗れますまい」(冨士250号)

日蓮正宗顕正会(昭和57年10月9日~)

◎「今後、大聖人の仏法を広く大衆に広めるのに、『講』という名称は必ずしもふさわしいとはいえない。そのゆえは、世間一般の『講』というものに対するイメージは、『観音講』とか『伊勢講』とか『熊野講』とか、およそ古く閉鎖的で特殊な信仰集団、善男善女の集まりというような先入観がある。(中略)少しでもこれらと同一視されることは迷惑であり、広宣流布の戦いを進める上に好ましくありません。さらに宗門の中を見渡せば、(中略)数百の小さな講中がある。妙信講という名称は、これらの中の一つ、一支部名に過ぎません。しかし今や妙信講は法華講の中の一支部ではない。学会も宗門僧侶も国立戒壇を全く云えなくなった今日、対外的に日蓮大聖人の御精神を顕わし戦う団体は、妙信講以外にはない。この意味で、妙信講はまさに日蓮正宗を代表する立場であります」(顕正新聞 S57.10.15号)

宗教法人顕正会(自称・冨士大石寺顕正会 平成8年11月18日~)

◎「妙信講は学会のように本山から独立して宗教法人を作るようなことはしない。あくまでも日蓮正宗の講中です」(顕正新聞 S50.8.10号)

◎「実は私は、今の宗門があまりに腐敗堕落しているので『日蓮正宗』と名乗ることが恥ずかしいのです。その第一の理由は、日蓮正宗の名において、国立戒壇の御遺命を捨ててしまったからです。(中略)第二の理由は、御遺命を捨てた罰により学会と宗門はいま仲間割れをし、『修羅と悪竜の合戦』を繰り広げ、互いの醜い実態を日本国中、いや、全世界にさらし、嘲笑の的となっております。(中略)顕正会がこのような腐敗堕落の輩と一緒に見られたのでは、一国諌暁はとうていできないよって、いよいよ明年の一国諌暁にあたって顕正会は、腐敗堕落の今の日蓮正宗ではなく、その清き源流に遡(さかのぼ)って『冨士大石寺顕正会』と名乗りたい」(顕正新聞 H9.1.5号)

◎「文部大臣の認証により、『宗教法人顕正会』として法人格を取得することができました」(顕正新聞 H9.1.5号)

名は体を表す

顕正会のことをよく知らない人の中には、うっかりすると、
「顕正会は、独善的教義解釈が行き過ぎてはいるが、その主義主張は旗幟(きし)鮮明で、一本筋が通っている」
というような印象を持つ方がいるかもしれません。
しかし、よくよく顕正会の教義解釈を調べると、論理的破綻がはなはだしいことが鮮明になってきます。
浅井昭衛は自己正当化・絶対化を謀るために、我見でもって教義展開をしてきましたが、凡夫の愚かさ故、それが数多くの自語相違を生じさせる結果となってしまいました。そのことを端的に表しているのが「名は体を表す」教団名変更の破廉恥さです。
「英邁の聞こえ高き第65代日淳上人」がもったいなくも「異例の認証式を総本山で行なって下さった」にもかかわらず、「世間一般の『講』というものに対するイメージは、およそ古く閉鎖的で特殊な信仰集団、善男善女の集まりというような先入観がある」などという理由で、いとも簡単に「妙信講」という名を捨て去っています。
そもそも「法華講」という名称は、日蓮大聖人が直々に名付けられたものです。本門戒壇の大御本尊の脇書きには、
「本門戒壇之願主弥四郎国重 法華講衆等敬白」
とお認(したた)めがあります。日蓮大聖人が定めたもうた由緒正しき「法華講」の名を卑しみ、「『講』というのは古臭い」だの「今や妙信講は法華講の中の一支部ではない」だのというのは、「自分たちは日蓮大聖人とは無縁の徒である」と自ら宣言しているようなものです。

“正しい宗教と信仰”