三災七難はいつ起きてもおかしくない
現在の日本においては、日蓮大聖人の正系門流たる日蓮正宗の教線拡大は国民の多数とはなっていない状況であり、反対に「現時における一凶」である創価学会は、国内の宗教団体においては数の上で最多となっています。
また海外においては説明の必要がないほど、外道を中心に悪法が蔓延している状態です。まさに「末法濁悪」であり、日蓮大聖人が『立正安国論』で御教示された三災七難のいずれかがいつ起こっても、まったくおかしくない状況下にあることを知る必要があります。
カルト教祖ならではの当たらない予言
浅井は昭和42年以来、40年以上も「まもなく」「今年こそ」「数年以内には」等々と三災七難、具体的に言うと世界大動乱、世界的飢饉、経済恐慌、首都圏大地震等を予言し続けていながら、いまだ何一つ実現したことがありません。
そして予言がはずれてもその理由を一切説明することなく、いっこうに自らを恥じることなく、まるで先を見通す力のある仏のごとく、確信じみた口調で新たな予言をします。
日蓮大聖人が『種々御振舞御書』で弘法(空海)の祈雨について、
「弘法は三七日(21日)すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。設(たと)いふりたりともなんの不思議かあるべき」
と仰せです。
浅井昭衛についてもまたしかり。これから先の将来にこれらの災難が起こったとしても(事実、いつかは起きるであろうけれども)、それは浅井の予言とはまったく無関係。まさに「何の不思議かあるべき」なのです。
浅井が予言めいた終末論を繰り返すのはなぜか
その理由は簡単。会員の恐怖心を煽(あお)り立て、「助かる道は、国民の大多数が顕正会員となり、国立戒壇を建立するしかない」と、会員たちを勧誘活動へと駆り立てるためです。
当然のことながら、浅井の終末論ごときは日蓮大聖人の仏法とはまったくかけ離れたものであり、そこいらのカルト教団の教祖と同レベルの稚拙な妄言でしかありません。
顕正会員の心理は
浅井が予言めいたことを口走った時、マインドコントロールされている顕正会員には、「先生は国立戒壇の御遺命をただお一人で護持されているお方だから、大聖人のお声を直接拝してご予言されるのは当然」というような心理が潜在的に刷り込まれています。
すると、その予言がいかにはずれ続けても、マインドコントロールされている者は「先生の予言がはずれた」とは思いません。
「先生と、先生に師弟相対し御遺命守護の戦いに立っている我々の赤誠が御本仏に通じ、三災七難が回避された」というように、いくらでも自分たちの都合のいいように、我田引水の解釈をしてしまうのです。
もうダマされるのはやめましょう。浅井の予言など単なる聖者気取り、茶番の世迷い事です。当たるわけがないのです。