(1)「寛尊の精美を極めた大事の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外には絶対にない」(冨士312号)
(2)「(御本尊七箇之相承の御文について)法体の付嘱を受け給うた嫡々代々の上人が書写し給うた御本尊は、ことごとく即戒壇の大御本尊、即日蓮大聖人の御魂と信ぜよとの御意であります。ゆえに私たちは、いかなる猊下の書写し給うた御本尊なりとも、即戒壇の大御本尊、と深く信じまいらせているのであります。このように、この御金言は、あくまでも御本尊書写に当たっての深意を仰せ給うたもので、決して猊下個人の肉身・振る舞いを指して〈日蓮大聖人と思え〉などと仰せられたものではありません。もちろん、大聖人と唯我与我の御境界であられた第二祖日興上人、そして第三祖日目上人、あるいは日寛上人・日霑(にちでん)上人等の御高徳の上人の振る舞いはまことに尊く、いかに尊敬申し上げるとも過ぎるということはない。絶対信を以て尊敬申し上げなくてはなりません。しかし数多き歴代上人の中には、ごくごく稀に御法門の展開あるいは身の振る舞い等において逸脱のあることもある。この時、猊下の仰せだからと云ってそれに従ったらどうなるか。あるいは時の猊下を思うままに操り、猊下の名を以て大聖人の仰せに違うことを強行しようとする悪人・野心家が出たらどうなるか。仏法そのものが危うくなります」(顕正新聞 S63.8.25号)
(3)「細井日達・阿部日顕の両貫主は、御本仏の御遺命を破壊せんとした師敵対の者ですよ。師敵対の者に、どうして大聖人の御魂を書写し奉る資格がありましょうか」(顕正新聞 H19.11.5号)