私は、元は創価学会員でした。
昭和56年11月から平成4年2月までの約10年間、創価学会に在籍していました。その間、男子部として活動し、創価班なるものも経験し、いろいろな意味で勉強になりましたし、また学会地元組織の先輩方にも大変お世話になりました。脱会してもそうした恩義は決して忘れてはいません。
しかしそれらの恩義は、世間法の上でのことであり、仏法の正邪の判別とは次元が違います。
私は、自身の因縁によって創価学会員から折伏を受け入信したことで学会員となりましたが、私はあくまでも「創価学会に入会したかった」のではなく、「日蓮正宗に入信したかった」のです。
その当時、私は法華講というものを知りませんでしたし、誰も教えてはくれませんでした。周囲の先輩学会員たちは「お寺に行かなくても会館に行けばいいんだ」といい、また法華講を「旧信徒」とさげすみ、「自分たちこそ日蓮大聖人様の仏法の本流である」との慢心に満ちていました。
しかし私にとって、創価学会での10年間は、本来あるべき日蓮正宗の正しい信仰のあり方とは思えない学会活動に大きな疑問を持ちつつ、また日蓮大聖人の仏法を修行するという自覚に極めて乏しい10年間であったと思います。