第六十六世・日達上人が体系的に御明示
「事の戒壇」には、根源の意における事の戒壇、すなわち「いつ、いかなる場所であろうとも、根源の大御本尊を奉安し格護申し上げる所が即、事の戒壇である」という意義と、広宣流布の事相において建立されるところの事の戒壇があります。
この「事」の二重の意義は、時至りて第六十六世・日達上人が、甚深の御相承の法義を拝されつつ、初めて体系的に明示あそばされました。
【事の戒壇】
本門戒壇の大御本尊のまします所、いつ何時であろうとも「根源の事の戒壇」であり、この根源の事の戒壇が広布の暁を待って、事相の上に大本門寺戒壇として顕現する。
【義の戒壇】
戒壇大御本尊の分身散影(ふんじんさんよう)である寺院の常住御本尊他、一期一縁の御本尊ましますところ、その意義が事の戒壇にあたる故に、これを義の戒壇と言います。
日寛上人『法華取要抄文段』の御指南
日寛上人の『法華取要抄文段』では、根源の事の戒壇を大前提として、そこから義の戒壇を説かれ、さらに広布事相の事の戒壇があることを示されています。
【事の戒壇の二重の意義】
「本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂(いわ)く、義理なり。これ則(すなわ)ち事中の事・理にて、迹門の理戒に同じからず。その名に迷うこと勿(なか)れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ」
ここで日寛上人は、「事中の事・理」、すなわち、根源の事の戒壇を基本として、さらに広布事相上に建つ事の戒壇があることと、義理において根源の事戒に当たる理(義)の戒壇があることを略示され、後者においては迹門理戒にまぎらわしいので「義の戒壇」と名づける旨を明記されています。
【義理の戒壇】
「初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処(ところ)は即ちこれ義理、事の戒壇なり」
ここで仰せの「本門の本尊」とは、大聖人をはじめ嫡々(ちゃくちゃく)御歴代御書写の御本尊を広く一般的に指す表現ですが、浅井はこれを本門戒壇の大御本尊の意であると主張しています。しかしそれでは意味が通りません。「事の戒壇なり」と仰せになっているのですから。
【根源の事の戒壇】
「然(しか)りと雖(いえど)も仍(なお)これ枝流にして、これ根源に非(あら)ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり」
ここで日寛上人は、「義の戒壇」と、本門戒壇の本尊所住の処「根源の事の戒壇」を混同せぬように念記あそばされています。
【広布事相の事の戒壇】
「次に正しく事の戒壇とは、秘法抄に云(いわ)く……」
ここで日寛上人は『三大秘法抄』の文を引いて、広布事相上に建立される事の戒壇の説明に代えられています。
その三大秘法抄には、
「此の戒法(事の戒法、事の戒壇)立ちて後、延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじ」
と仰せられている一節があり、浅井の言うように「広布を待って初めて事の戒壇が顕れる」というのならば、それまでは迹門の戒壇によっても益があることになってしまいます。
日寛上人が『依義判文抄』において、
「本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」
と仰せのとおり、本門戒壇の大御本尊に「根源の本門事の戒壇」は具(そな)わっているのです。